足よりもスーツのほうが
■スーツは萌えるけど着るのは嫌い
よっしゃー、11月のスーツ着る日終わり!
客先で色々とむかつくことはあったけれどもうそれで良しとする。
コスプレ気分で乗り切れるのは月1回までだな……。
もうスーツがぜんぜん体にあってなくて着てるのが嫌になってしまう。
これは新しいスーツを作るしかないね、と消費欲を自己正当化する。
■読んだ本
まずは「小野寺の弟 小野寺の姉」/西田征史。
すでに映画は映画館で見た。なかなか良い映画だったので原作も読むことにしたが、
完全に姉の「より子」は片桐はいりで読んでしまった。映像の力は強すぎる。
(弟はちょっとだけ向井理とずれていた)
四十路の姉と三十路の弟が慎ましく暮らす様子を描いている。
お互いにすこしだけ引け目を抱いていて、表に出さないようにはしているが、
それぞれの恋やコンプレックスが引き金になってドラマになる。
日常モノなのでディテールがすべてだが、映像でも小説でも変わらず面白かった。
映画との差分を楽めてお得。というかこの著者であり監督の西田さんて、
タイバニの脚本家の人とは知らなかった。ううむ、乗ってるなあ。
お次は「ハーモニー」/伊藤計劃。
あ、なんか表紙ウテナのOPっぽいなあ、と思った勘は遠からずだったようで
中身もすこしウテナの歌詞を連想してしまった。(世代を感じる)
木漏れ日の優しさに包まれたなら目にうつるすべてのことはメッセージなのだが、
極端な管理社会のやさしさに包まれ、「リソース」として大切に扱われる世界では
体内にあるWatchMeという健康維持プログラムが痛みや病気という
人間へのメッセージを覆い隠している。そしてさらに極端な、
人間の個人の意識を必要としない完全な調和を目指そうとする勢力と、
それに抗う勢力があり、果たして意識とは、幸福とはなんぞやと思わせる内容。
幸福な世界は存在するのかもしれないけれど、その幸せを意識できなければ、
それは幸せという尺度がなくなっただけではないのだろうか。
いや、尺度がないこと自体が「知らないほうが幸せ」なんだろうか。
私に意識がある以上、その幸福は分かり得ないことかなあ。
本を読んで色々思ったりすることが私にとっては幸せなのだから。
どういう風に映像化しているのかは気になるので映画見に行こうかな。
ラスト、「FOOT FETISH」/四ノ宮慶。
BLの表紙で攻めが足しか見えてないって珍しいっていうかこの本だけなんじゃ…。
つーか英語にしたからマシなんであって日本語だと出せないよな、このタイトル。
FOOT FETISHというだけあって、足フェチにはたまらんであろう作品。
この作品のよいところは、自分のフェチを自覚しきっていなかった受が、
好きな子をいじめたくなる任侠の攻によって開花(自覚)させられるうちに
開き直っていくところ。
こういうフェチに特化した内容で、生ぬるいものは読みたくない。
そういう作品は恥ずかしがってる芸人みたいなイラつきを覚えてしまう。
「俺の足が好きか?」と聞かれたら、「好きです」、
「いじめたくなる」と言われたら「乱暴にされるのが好きみたいです」と
答えるヘンタイでいいんだよ、ヘンタイで!
私は足フェチではないが、こういう作品は潔くて好きである。
さらっと紳士靴の薀蓄も書かれてて良い。はあー靴もオーダーしてみたい…。
われながら統一感のない記録。